クラシックの森:ショパン大好き

都内在住のグラフィック&WEBデザイナーです。クラシック関連CDや漫画のレビュー等を交えながら、クラシック音楽の魅力を楽しく伝えていけたらいいなと思ってます。

ショパン国際ピアノコンクール PART1

こんばんは、グラフィッカー☆JUNです。(^-^)/

さて、当ブログでは過去2回に分けて、日本の二大ピアノメーカーである≪YAMAHA≫と≪KAWAI≫のピアノについての記事を書かせていただきました。
ちょっと個人的な想いも織り交ぜたので、かなり暑苦しい表現になっていたと思いますが、少しは参考になりましたでしょうか?

 
また、その記事の中で≪YAMAHA≫と≪KAWAI≫が公式ピアノに採用されたショパン国際ピアノコンクールのアウトラインについて少しだけ触れましたが、今回からコンクールの詳細について少し突っ込んだ話をしていきたいと思います。

懲りもせず暑苦しい表現になってしまうかもしれませんが、どうぞ、最後までお付き合ください。
ちょっと長くなるかもしれませんので、今回から何回かに分けて書いていきますね。

 

世界の国際コンクールについて

 世界にはメジャーと言われる国際ピアノコンクールは果たしていくつくらいあると思いますか?
なんとその数、120以上だそうです!

また、ピアノに限定しなければ、有名な作曲家の名前を冠に持つコンクールだけでも

ベートーベン国際ピアノコンクール
リスト国際ピアノコンクール
モーツァルト国際コンクール
バッハ国際コンクール
ハイドン国際室内楽コンクール
シューマン国際コンクール
ラフマニノフ国際ピアノコンクール

まだまだこんなもんではありませんが、本当にキリがないのでこの辺でやめておきますね。(^^;;
結局、無名なコンクールまでカウントすると、この数字は一体どこまで膨れ上がるのでしょうか…

そんなメジャーなコンクールの中でも、≪世界三大国際コンクール≫と言われるものがあります。
世界三大というくらいですから、参加者の数技術や表現力世界中からの注目度、どれをとっても最高レベルに相応しいコンテスタントが集結するコンクールです。

 

ショパン国際ピアノコンクールポーランドで5年に1度開催)
チャイコフスキー国際コンクール(ロシアで4年に1度開催)
エリザベート王妃国際音楽コンクール(ベルギーで3年に1度開催)

 

この3つであれば、さすがにクラシックにあまり馴染みのない人でも1つくらいは耳にしたことがあるかも知れません。
最終的にこれらのコンクールに入賞することで、世間に名前を知ってもらうことができ、メジャーレーベルとの契約や世界中からの公演オファーの可能性がグッと高くなります。
もちろん、国際コンクールには優勝賞金が破格なものもあるのでしょうが、この3つのコンクールに限っていえば、賞金よりむしろ入賞したという肩書きの方がはるかに価値が高いのです。

では、世界三大国際コンクールのレベルの高さが分かったところで、ショパン国際ピアノコンクールについて詳しく見ていきましょう。

 

ショパン国際ピアノコンクールの始まり

ショパコンの栄えある第一回開催は1927年(昭和2年)となっています。
ショパンが39歳という若さでこの世を去ったのは1849年の10月ですから、その78年後ということになります。

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一体なぜ、その時期から開催されるようになったのでしょうか?
その謎は、ショパンの祖国であるポーランドの歴史に隠されています。

ショパン国際ピアノコンクールが創設されたのは1927年。第一次世界大戦終結し、ポーランドが独立国となって9年後のことだった。
過去千年近くにわたって絶えず近隣諸国に領土を踏みにじられてきたポーランドは、第一次大戦中もロシア、ドイツ、オーストリアがこの地で戦い、200万ものポーランド人が敵味方に引き裂かれて殺し合うという悲劇を経験した。
ワルシャワ音楽院のイェジ・ジュラヴレフ教授は、戦争で荒廃した人々の心を癒し、当時フランス音楽と考えられていたショパンの音楽をポーランドに取り戻して愛国心を鼓舞しようと考え、コンクールの創設を思い立った。

引用元:YAMAHA スペシャルコンテンツ 2015年ショパン国際ピアノコンクール

なんだか…泣けてきますね…(;_;)
長い間、近隣諸国によって虐めの対象になってきたポーランドの悲惨な歴史。
ショパコン開催は、ショパンの音楽を取り戻すことによって、国の再建に向けみんなで頑張っていこうという意味合いだったのですね。

しかし、その第一回の優勝者はレフ・オボーリンというロシア人。
それまでの経緯を考えると、なんともやるせない気がするのですが…戦争と芸術は関係ありませんからねぇ。
いや、しかし、ポーランド人の懐の深さが感じられます。

ちなみに、ロシアで開催されるチャイコフスキー国際コンクールの第一回大会ピアノ部門の優勝は、アメリカ人ピアニストのヴァン・クライバーンでした。
当時アメリカとソ連はバチバチの冷戦中ということを考えると、あのロシアですら審査に政治を持ち込まなかったのですから、芸術に対して敬意を払う欧州の姿勢は素晴らしいですね。

豆知識1
そのヴァン・クライバーンの名前を冠にしたピアノコンクールがあり、4年に1回開催されていますが、2009年に辻井伸行さんが優勝したことは記憶に新しいですね。

感動のショパン~ヴァン・クライバーン・コンクール・ライヴ

感動のショパン~ヴァン・クライバーン・コンクール・ライヴ

 

 
豆知識2
日本人女流ピアニストの第一人者であった故・中村紘子さんは、下り坂であったクライバーンの演奏のことを結構こき下ろしてました。

ショパン:ワルツ

ショパン:ワルツ

 

 
豆知識3
ジュリアード音楽院では、中村紘子さんとクライバーンは兄弟弟子だったのですけどね。(^^;;

 

次回以降、ショパコンにまつわるエピソードを柱に、ショパコンが輩出した世界的な一流ピアニストたち、そしてなかなか結果が残せない日本人ピアニストたちのことにも触れながら話を進めていきたいと思います。
それではまた!(^-^)/~~~