クラシックの森:ショパン大好き

都内在住のグラフィック&WEBデザイナーです。クラシック関連CDや漫画のレビュー等を交えながら、クラシック音楽の魅力を楽しく伝えていけたらいいなと思ってます。

アルトゥール・ルービンシュタイン PART1

こんばんは、グラフィッカー☆JUNです。(^-^)/

もう何度もこのブログで名前を上げていますが、ボクの一番のお気に入りのクラシックピアニストは、ポーランド出身のアルトゥール・ルービンシュタインです。
彼の弾くショパンはボクにとっては特別なもので、他のピアニストのそれとは明らかに別次元に存在します。ボクの中では、ダントツNo.1の存在です。

f:id:cosmic-classics:20170626221721j:plain

ポーランドのLodz(←これでウッチと読みます。)のビルに描かれたルービンシュタイン
2009年と比較的最近設立された、アーバンフォーム財団のプロジェクトの一環のようです。
この他、ウッチにはピアノを弾くルービンシュタイン銅像があることも有名です。

ルービンシュタインショパン演奏において特筆すべき点は、彼のテンポ・ルバートにあります。
テンポ・ルバートというのは、クラシック音楽特有のもので、いわゆるリズムの揺れのこと。
この世に存在するほとんどの音楽には、絶え間なく一定のリズムを刻み続ける打楽器というパートがあり、それに乗せてメロディーを展開していきますよね。
もちろん音楽の基本はインテンポですが、クラシック音楽の場合、その場その場でリズムが早くなったり遅くなったり、結構、指揮者やピアニストの自由裁量で演奏されることが多いのです。とはいえ、ちゃんと根拠あってのテンポ・ルバートです。

そうすることによって、曲に生命力や躍動感を与えたり、様々な情景描写に一役買っているのですね。
好き嫌いはありますが、ルービンシュタインの説得力のあるリズムの揺らし方は彼ならではのもの。
彼こそがショパン芸術の極みであると、ボクの中では確信しています。

Arthur Rubinstein Plays Chopin

Arthur Rubinstein Plays Chopin

 

10枚で、3,000円いかないってどゆこと? ボクが若い頃、それこそ1枚3,000円近くしてたのに…
彼はエチュードだけ残してませんが、それ以外のショパン作品はこれで網羅できます。
エチュードは、マウリツィオ・ポリーニ横山幸雄さんを聴いてください。(*’3`b)

ショパン作品の中でも、ポーランドの伝統的民族舞踊であるマズルカ
ショパンは、50を優に越えるマズルカを作曲していますが、これらの曲が持つ美しくも哀しい旋律を、ここまで見事に歌い上げるピアニストは、彼以外に存在しないと思っています。
勉強や研究で身に付けたものではなく、それこそ天才ルービンシュタインの生まれもった第六感なのでしょう。これは才能以外の何者でもありませんね。

 

2才でピアノを始め、4才で自分の天才を自覚した!

でたっ、これですよ、これ! (≧∀≦)
もちろん、大人になったルービンシュタインの言葉ですから、恐らく子供の頃の記憶や認識とはきっと乖離していると思いますけど…(^^;;
それにしても、一体どれほどの神童だったんだろう? と思わせる発言ですね。
なんでも、2才で姉のピアノを聴き、その曲を持って生まれた絶対音感を頼りに即座に演奏したという逸話があるほどです。

その後…

●7才で演奏家デビュー。
●10才でポーランドを後にしてドイツに渡り、フランツ・リストの高弟であるハインリッヒ・バルトに師事します。←もう、ここもヤバイ♪ (≧∀≦*)
●13才でベルリン交響楽団と共演。(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とは別の団体です。)


いやぁ…もうこれだけで天賦の才を疑う余地はありませんね。

 

f:id:cosmic-classics:20170626222934j:plain

これは1906年撮影ですから19才の頃です。ルービンシュタインの若き日の写真は少ないのです。

さて、そんな順風満帆に見えた彼のピアニスト人生ですが、自ら命を絶とうとしたくらいの苦悩と、あられもない人種差別を受けています。

その19才の頃に、かの有名なNYのカーネギーホールにてリサイタルを開くのですが、くだらないアホ評論家たちに辛辣な言葉を浴びせられ、自ら4年もの間リサイタルを控えて研鑽を積みました。

1910年、ロシアの高名なピアニストの名を冠に持つアントン・ルービンシュタイン国際ピアノコンクール(英語のスペルが全く同じなので、よく混同されますが、全くの別人です。)にて堂々の第1位を受賞するも、ユダヤ人であることであからさまな差別を受け、賞金は与えられず、副賞の40回にも及ぶ演奏会も無効になったのです。
いくら天才ピアニストとはいえ、当時はまだ23才の青年です。こんな仕打ちを受けどんなに辛い思いをしたことでしょう…(;へ:)差別反対!

 

持前の明るさと人懐っこさで世界中の人気者に♪

そうした苦しい時期を乗り越えたルービンシュタインは、ヨーロッパやアメリカ各地を演奏して回り、絶大な人気を集めていきます。
サービス精神旺盛で、おどけた表情をみせたり、茶目っ気ある言動で人々を喜ばせたり…そんな愛すべき人間でした。
特に、ステージを絶対にキャンセルしない姿勢も主催者側から全幅の信頼を寄せられた理由です。
※これを聞くと、一流のピアニストとしてもキャンセル魔としても名高かった、アルトゥーロ・ベネッティ・ミケランジェリや、ヴラディミール・ホロヴィッツマルタ・アルゲリッチたちに、ルービンシュタインの爪の垢を煎じて飲ませたいくらいです。(笑)

ややもすると、努力せずしてなんでも楽に弾きこなしてしまうという恵まれた才能に溺れることもありましたが、ある時期に思い直すことがあって、それ以降は演奏に対し真摯に取り組むようになりました。
その気持ちは、45歳で結婚した妻とその後に授かった娘を『二流ピアニストの妻子』とは絶対に呼ばせないぞ! という固い決意で音楽と対峙し続けた姿勢からも伺えます。

f:id:cosmic-classics:20170626223759j:plain

欧米を制したルービンシュタインは、その後スペインや南米でも大人気を博しました。
南米のピアニストといえば、アルゼンチン出身のアルゲリッチ…いやぁ、風格バリバリの今の彼女が信じられないくらいピチピチで可愛らしいですね♪

この続きは、次回以降に書かせて頂きますね。Part2をしばしお待ちください。

それではまた!(^-^)/~~~