スタニスラフ・ブーニンというピアニスト
おはこんばんは、グラフィッカー☆JUNです。(^-^)/
本日は、昼間~夜にかけて横浜のほうのクライアントさん事務所にて制作会議がありますので、日付が変わったばかりのこんな夜中に更新です。(笑)
さてさて、あなたには特定のお気に入りのピアニストはいますか?
ボクは、小学校高学年の頃にポーランド出身の大ピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインが弾くショパンに衝撃を受けて以来、何十年もずっと彼と彼のピアノを敬愛し続けています。
最初に聴いたのは、確かショパンの≪ワルツ集≫か、≪ポロネーズ集≫だったと記憶しています。
- アーティスト: ルービンシュタイン(アルトゥール),ショパン
- 出版社/メーカー: BMGインターナショナル
- 発売日: 2000/11/22
- メディア: CD
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真の天才とは彼のことかもしれません。
たった2歳でピアノを弾き、4歳で自身の特別な才能に気付き、自覚したといいます。
凄すぎでしょ…(笑)
このまま、ルービンシュタインについて書き綴りたいくらいですが、今回はやめておきますね。
さて、それでは今回のお題、スタニスラフ・ブーニンです。
最近の若いクラシック好きな方のうち、一体どれほどの人が彼の演奏を聴いたことがあるでしょう?
それ以前に、彼の存在や名前を知っているのでしょうか?
あっ、ひとつ思い出しました!
辻井伸行さんが赤ちゃんの頃、ブーニンの英雄ポロネーズのCDだけに反応したというエピソードがありましたね。う~ん…有名な話はそれくらい??
ブーニンは、1985年のショパン国際ピアノコンクール優勝でセンセーショナルなデビューを飾り、一躍時の人となりました。そして、才能は十分だったはずなのに、日本以外の国では全く名声を得られなかった残念すぎるピアニストでもあります。
現在、彼はどこでどういった活動をしているのでしょうか。
まだまだ50歳そこそこで、順調に行っていれば脂の乗ったベテランピアニストとして名前も知れ渡っているはずなのに…
そもそも、今もちゃんとピアノを続けているのか? ←そこ?(苦笑)
てか、ロシア亡命後にドイツに渡ったとか、日本女性と結婚したとか、当時はいろいろと話題も絶えなかったけど、今じゃ全く音沙汰なしですよ。
衝撃の第11回ショパン国際ピアノコンクール覇者
第11回のショパコンは、ドキュメンタリー番組としてNHKが特集を組み、話題騒然となりました。
この回の覇者、スタニスラフ・ブーニン(当時19歳)によって巻き起こった、いわゆる『ブーニン・フィーバー』という現象です。
ただし、あくまでも日本だけの話ですけどね。
▲こちらは第2位のマルク・ラフォレと、第5位のジャン=マルク・ルイサダ
≪ピアノの森≫に出てくるダニエル・ハントって、ルイサダがモデルですよねぇ…(笑)
特に日本人はミーハーな民族ですから、一部の人が目新しいものを見つけると、その本質を見極めようとすることもなく、みなさん右向け右で追従しちゃいます。
そして飽きたら何の躊躇もなくポイして、その後一切見向きもしなくなります。
まぁ大なり小なり、どんな事にも共通して言えることですけどね。
決して、ブーニンに関してだけのことではありません。
でも、同じ第11回で4位入賞した日本人ピアニスト小山実稚恵さんは、その後も研鑽を怠ることなく、今でも息の長い音楽活動を続けていらっしゃいます。
レパートリーも膨大で、その演奏や曲に対するアプローチには、彼女の聡明さを十分に伺い知ることができます。
それらは歴史的に群を抜くものではないかも知れませんが、プロの世界でも高いレベルにあることは間違いありません。
話を元に戻しましょう。
ボクもこのドキュメンタリー番組をテレビでリアルタイムに観ていたのですが、ブーニンのピアノに素直に感動したものです。
当時のロシア(旧ソ連)は、ショパコンには毎回2~3人という国内でもトップクラスの精鋭たち(上位入賞を狙えるピアニストたち)しか送り込まない体制を敷いてました。
そして、ブーニンも例外なく、旧ソ連という巨大国家の威信を背負った、将来を期待された特別なピアニストだったのです。
かくして、彼はまんまと本選(決勝)まで進み、優勝はもちろんのこと、ポロネーズ賞とコンチェルト賞まで受賞しました。
ボクも音源(CD)を持っていますが、彼が本選で弾いた
≪ピアノ協奏曲 第一番 ホ短調≫
のなんと美しいことか!
残念ながら、この音源は今となってはほぼ出回ってないので、商品自体を紹介をすることはできません…
ミスタッチが若干多めではあるものの、歯切れのよい明瞭で瑞々しい彼の演奏は、今聴いても本当に素晴らしいのです。
そんな稀有な才能を持つ若干19歳の青年が事実存在したわけですから、今の彼の状況が全くもって残念すぎるし、オーバーでもなんでもなくクラシック界の重大な損失だと思うのです。
ブーニンは猛スピードで頂点を極め、そして失墜した。
祖父はゲンリッヒ・ネイガウスという名門モスクワ音楽院の教授で、エミール・ギレリスやスヴャトスラフ・リヒテルという世界的ピアニストの師匠です。
父は、名ピアニストのスタニスラフ・ネイガウス。母はモスクワ音楽院の先生でした。
しかし調べたところ、両親はブーニンが幼い頃に離婚し、母が引き取ったということなので、直接父の教えは受けてないようですね。
また、ブーニンが生まれた頃にはすでに祖父は亡くなっていたので、その後彼がピアニストとして成長したのは、純粋に血筋の良さなのでしょう。
4歳でピアノを始め、17歳でロン=ティボー国際コンクール優勝。
モスクワ音楽院では、セルゲイ・ドレンスキーに師事し、19歳でショパコン優勝。
華々しいデビューを飾って、これからって時(1988年)に、旧・西ドイツに亡命。
グラモフォンレーベルからちょいちょいCDをリリースするも、ヨーロッパではもうすでに相手にされずに尻つぼみ状態。
ネットで調べると彼のバイオグラフィーは良いことばかり書いてあります。
確かに、ショパコンの覇者という肩書きの持ち主なので、コンサートツアー等もそこそこ行っていたし、様々なイベントへの出演依頼もあったようです。
しかし、決してヨーロッパでは大好評は博してないし、高い評価なんか受けてません。
この間、彼になにがあったのか分かりませんが、亡命したくらいですから、ピアノ以外に彼の身の上に負担をかける何らかの問題があったのかも知れませんね。
しかし、曲に対するアプローチもわざとらしいほど屈折していたし、もう何が何だかわからない演奏スタイルを漫然と続け、研鑽を怠ったのは事実なんですから、彼の失墜は当たり前の出来事だと思います。
いずれにせよ、結果として日本での細々とした人気に頼るしかメシの種(お金)にはならず…だからなのか分かりませんが、現在は日本人と結婚し日本に住んでるみたいですね。
ここまで落ちたことで、ショパコン覇者としては物足りなさ甚だしいし、歴史的に重要なピアニストから確実に除外されているので、今後彼がクラシック界で再び浮上することは不可能でしょう。
厳しいことを言えば、単なる『ピアノが上手なおじさん』で、
「彼のピアニストとしてのキャリアのピークは、ショパコンを制したあの夜だった。」
と評されても仕方のないことですね。
哀しいけれど、それもまた人生…
それではまた!(T-`)/~~~