マウリツィオ・ポリーニ:Mr.パーフェクト
こんにちは、グラフィッカー☆JUNです。(^-^)/
ちょっとこの場を借りて、嬉しいご報告をさせて頂きます。
前回エントリーさせて頂いた『幻想即興曲:ショパン 不本意な名曲!??』の記事が、なんとSmart News(スマホのニュース系アプリ)のはてなカテゴリーに掲載されました!←パチパチ☆彡(ノ゚▽゚)ノ
なぜこれに気付いたかというと、仕事の合間に何気なくGoogleアナリティクスを開いたところ、異様にアクセス数が伸びていたからです。
目測で通常の4倍ほど棒グラフが高かったので「なんだこれ?」と思って、普段はそこまで気にしていないのですが、アクセス元を調べたというワケです。
まぁ、これはSmart Newsに載っている間だけなので、一喜一憂したところで何てことはないのですが、たくさんの方に読んでいただければ素直に嬉しいものです。(o^▽^o)
それと、まだ継続期間は短いけれど、このブログも少しずつ育ってきてるのかなぁ? といった感慨深いものもあります♪
どういう基準で掲載されるのかよく分かりませんが、これからも良記事を積み重ねることを最優先してブログを続けていこうと改めて思いました。
さて、そんなワケで、今回も張り切っていってみましょ~う!
孤高の天才ピアニスト ポリーニ
1960年、第6回ショパン国際ピアノコンクール
最年少18才で、満場一致での完全優勝!
この偉業は、彼のキャリアを語る上において絶対に外すことはでません。
その実力たるや、審査委員長を務めたポーランド出身の伝説的な名ピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインに
「彼は我々審査員の誰よりも上手い。」
と言わしめたほどで、後にも先にもここまで最大級の賛辞を受けたのはポリーニだけかも知れません。
もちろん、ボクが生まれるずいぶん前の話なので、その当時の状況を直接見たわけでも、演奏を聴いたわけでもありませんが、後に彼が世に出した≪ショパン:練習曲集≫に初めて針を落としたときの衝撃はかなりのものでした。
- アーティスト: ポリーニ(マウリツィオ),ショパン
- 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
- 発売日: 2008/01/23
- メディア: CD
- 購入: 4人 クリック: 34回
- この商品を含むブログ (24件) を見る
▲ショパンのエチュードを語るたびに毎回紹介させて頂きます。それくらいの名盤なのです。
そのときの日本盤の帯に書いてあったキャッチコピーは…
『これ以上、何をお望みですか?』(吉田秀和氏)
ヤ、ヤバイ…これかっこいい!o(≧∇≦o)
揺るぎない確立された演奏技術、ソリッドで鋼のような精神性、硬質ながら鮮やかに彩られた音楽性。
そのすべてが、磨きに磨き抜かれた純度の高いダイヤモンドのような印象でした。
この紛れもない誉れ高き名盤は、クラシック音楽界の頂に君臨する金字塔だと言えるでしょう。
ところで、意外に思われるかもしれませんが、ポリーニはショパコンで優勝した後、すぐにプロのピアニストとして活動を開始したわけではありません。
優勝後は数少ないリサイタルは行ったものの、ほぼ10年間もの間、さらなる勉強・研鑽を積み重ねて音楽への理解を深めていったのです。
この点についてですが、現代におけるコンクールの入賞者(若手ピアニスト)たちのその後は、ポリーニと大きく状況が異なります。
よくあるのが、副賞となる『今後○年間 世界○○カ国ツアーを保証する』といった類のものです。
コンクールで上位入賞は果たしたものの、まだ自分の音楽というものを確立できていない、これから数年間は大いに勉強が必要な若いピアニストたち。
なのに、その大事な数年間、副賞のコンサートの多忙さに追われて満足に勉強できず、心労にも苛まれて羽ばたいて行けない…なんてこともあるようなのです。
ボクの記憶が確かなら、故・中村紘子さんも言及されてましたが、コンクールが将来有望な演奏家を潰しているなんて、なんだかやるせない話ですね。
話が少し逸れましたので、ポリーニに戻しましょう。(^^;;
かくして、ショパコン優勝後の約10年間で、入念な準備を整えたポリーニは、満を持して活動を開始。完全鉄壁なるピアニストとして世界中にその名を轟かせました。
名演揃いのグラモフォン時代
1971年に名門ドイツ・グラモフォンレーベルと契約し、軒並み世界的大ヒットを記録していきます。
当時のピアノ界の若手大スターといえば、マウリツィオ・ポリーニと、マルタ・アルゲリッチ。
イタリアの天才ピアニスト、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリは、この2人の師匠ですが「彼らに教えることは何もない。」というようなことを言ってたらしいです。
果たして、それで師弟関係になるのかは疑問ですけど…(笑)
ポリーニの演奏は「機械的で冷たい」と評されることが多く、人間的な温かみがないような言われ方もされますが、確かに言い得て妙ではあります。
ちょっと見出しと矛盾しますが、考えてみるとボクが彼のピアノですごいと感じたのは、ショパンでは前述の練習曲集、前奏曲集、ソナタ集、ポロネーズ集くらいです。
その後のノクターン集、バラード集、スケルツォ集は、本当に…残念としか言えません。(T▽T;)
また、ベートーベンに至っては、淡々とした深みの感じられない演奏で、ボクは最後までまともに聴いてられないくらい疲れてしまいました。
しかしある意味、計算され尽くした精巧なゴシック建築や、緻密に再現された彫刻のように、芸術品として一切の曇りのない完全なる美ともいえるかもしれません。
その証拠に、現代曲に関しては、ポリーニの本領が十二分に発揮されています。
なので、ここのところの解釈は、聴き手がどう判断するかによりますので、これ以上の言及は避けておきますね。(*^-^)
そして、彼は晩年スターではいられなくなった
非常に残念なことですが、Mr.パーフェクトと言われ続けたポリーニにも、恐れていた老いが訪れてしまったのです。(御年75歳)
当然、彼のあの完璧で硬質でブリリアントな演奏は、もう生では聴けなくなってしまいました。
全盛期の鮮烈な演奏は、完全無欠のテクニックに支えられていたからこそ、冷たくも機械的な演奏が美しく響いてたのですからね。
それにしても、ここ20年くらいの間にあの完璧な技巧が見る影もなく突然崩壊したのですから、なにか彼に身体的な問題があったのかもしれません。←あくまでも憶測です。
2009年の来日時、サントリーホールにポリーニのピアノを聴きに行ったのですが、もう…恐らく彼はコンサートピアニストとして終わったなと正直思いました。
ボクの大好きなショパンのプログラムに狂喜したのですが、それも束の間。
その高額なチケット代にまるで見合わない演奏の酷さたるや「あのポリーニを生で聴けた喜びと、今後の自慢代として納得するしかないな…」と一人苦笑いしたくらいです。
これから先、ポリーニのあの完璧な技術が戻ることは、まずあり得ないでしょう。
そして、ボクはもう二度と行きませんが、日本で演奏する機会も今後は限られてくると思います。
しかし、あのイタリア工芸品のような煌めく演奏を音源として残してくれたことは、クラシックピアノ界の歴史に刻まれた大きな財産です。
マウリツィオ・ポリーニ氏に、心から感謝の意を表したいと思います。
ありがとう、ポリーニ♪
あっ、最期に記しておきますが、氏はまだまだご存命ですからね!
それではまた!(^-^)/~~~
幻想即興曲:ショパン 不本意な名曲 !??
こんばんは、グラフィッカー☆JUNです。(^-^)/
全国的に茹だるようなこの暑さ…みなさんお元気でしょうか?
そしてこの数日の間、ボクの故郷である福岡や大分・熊本では、豪雨による土砂災害に遭われた方々が大勢いらっしゃることに心が痛むばかりです。
この場をお借りして、不幸に見舞われた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
幸いにもボクの親戚や友人たちが住む地域は大きな被害もなく、みんな無事で元気でした。
そして最近、まったくブログ更新できずにいた言い訳をさせてください…(ToT)
7月に入ってWEB案件が同時に複数舞い込んできて、プロトタイプ(フレームワーク)制作に追われ、ブログネタをリストアップする時間すらありませんでした。←これまでどんだけ暇だったんだ…(--;;
効率性を考えて、そろそろUXデザインツール、Adobe XDを導入しないとなぁ…と考えています。
そのためにはOS環境を変えないといけないので不安ですが、いつかはアップグレードしていかないといけないのだから、それは自分的には今なのかなぁ…と。
さらに、まだまだ新案件の話がいくつか浮上してますが、仕事の谷間に更新頑張っていきますので、これからも引き続きよろしくお願いします!
ショパンの即興曲について
≪幻想即興曲≫
さて、あなたはこの曲名だけでピンときますか?
これは、クラシックやピアノに全く興味のないあなたでも『絶対この曲は知っている!』といえるほど有名なショパンのピアノの名曲です。
流行歌に置き換えるとしたら、あなただけではなく家族や親族までもが(しかも何代にも渡って)一生遊んで暮しても遣いきれないほどの印税が振り込まれ続けるレベルでしょう。(笑)
Yundi Li - Chopin "Fantasie" Impromptu, Op. 66
▲まずはこれをお聴き下さい。なんて優雅でカッコイイ曲なのでしょう♪
途中の演出がクサすぎてたまりませんが、ユンディ・リというピアニストのPVなので、そこは我慢してください。(笑)
この曲は、ショパンの4曲からなる即興曲の第4番目にあたり、例にもれず≪幻想即興曲≫というのはショパン自身ではなく、友人のユリアン・フォンタナが名付けたものです。
そのフォンタナが、ショパンの類まれなる即興演奏能力について言及しているように、かなりの即興演奏の名手だったショパン。
即興曲とは、その名の通りその場でインプロヴァイズして演奏することですから、その時に弾いたまま譜に書き起こしているわけではありません。
ですから、後に曲想を深く考察しながら長期にわたって記譜することになるワケで、実際ショパンもこの作曲の工程にかなりの労力を要したようです。
この4曲に関しても、出版された時期は様々ですが、ショパンがどこかサロンやリサイタルで即興演奏を楽しんだ後にそうしたプロセスを経て作曲され、200年近くもの間弾き継がれてきたのです。
そう考えると、何故こんなにも即興曲として残っている曲数が少ないのか? という疑問も解消できます。
幻想即興曲はまさに幻の曲
作曲されたのは1834年ですから、ショパンが24才の頃。
しかしながら、この曲は彼の死後に遺作として出版されました。なぜだと思います?
実はショパンは、この曲に関してはあまり重視していなかったという逸話があるのです。
『納得できる曲じゃないから、私の死後に捨ててくれ!』
と、概ねフォンタナに対してそんなニュアンスで伝えたようです。
こんなにも美しく素敵な曲なのに、なんで!? と思うのはボクだけではありませんよね。その証拠に、ショパンの代表曲の中でも1、2位を争うくらい人気があり、世界中で愛されて続けているのですから。
その理由には諸説ありますが、有名な2説を挙げてみましょう。
イグナーツ・モシェレスは1794年チェコ出身のピアニスト。
生存時期はショパンとダダかぶりしており、ショパンは弟子たちに好んで彼の曲を弾かせたくらいなので、相当な影響を受けているはずです。
そのモシェレスの≪即興曲 変ホ長調 作品89≫の導入部にソックリだという説です。
▼ベートーベン月光ソナタ第三楽章に酷似している説
最後の最後ですが、終結部手前に挿入された下降型のアインガングは、調も同じであるということもあり、相当酷似していることは否めません。
また、上の説の増長になるかも知れませんが、モシェレスはベートーベンに生涯傾倒し、ピアノソナタから多大なる影響を受けてますので、いずれにしてもショパンが何らかの形でインスパイアされたのは間違いないでしょう。
その≪幻想即興曲≫の解説と、上記2つの諸説を解説している映像がYouTubeにアップされていたのでご紹介します!
これを見れば、あなたも「なるほど!」と納得できると思います。
気の短い方は、ピンポイントで『2:07 - 3:15』あたりをご覧ください。(笑)
Chopin 'Fantasie-Impromptu' - History & Tutorial - Paul Barton, piano
▲ポール・バートンさんによる幻想即興曲の解説です。モシェレスの即興曲との比較演奏も聴けますよ。
フォンタナの功罪
前述の通り、≪幻想即興曲≫という名前は、ショパンの友人であるユリアン・フォンタナが名付け、ショパンの遺言を無視してこの世に遺作として出版しました。
本来であれば永久に闇に葬り去られたであろう曲だったものを救出し、不朽の名作として後世に残したのですから、それは歴史的な功績といって良いでしょう。
しかし、困ったことに…フォンタナは…
ショパンの譜に手を加えて出版したのです!ヾ(~O~;) オイコラ!(笑)
これが俗にいうフォンタナ版といわれるもので、広く長きに渡って歴史的な名ピアニストたちに弾かれてきました。
しかし、1964年にこの曲のより新しい自筆の譜が発見されたのです。
出所は、ショパンの弟子であったデステ夫人に送られたもので、発見者はボクの尊敬してやまないピアニスト≪アルトゥール・ルービンシュタイン≫です。
これがショパンによる最終稿なのかは分かりませんが、ショパンは納得できないと出版しなかったというのですから、この曲自体をこれ以上推敲して完全に仕上げようという意思はなかったのかもしれません。
ですから幻想即興曲は、大まかにフォンタナ版とルービンシュタイン版に分類されますが、現在はその後の研究と校訂により多くの版が存在しますので、どの版で弾くかはピアニストの意向によります。
しかし今となっては、業界的にフォンタナ版はあまり評価はよろしくないようですね。
▲横山幸雄さんはフォンタナ版+ルービンシュタイン版というハイブリッドな演奏です。
▲過去記事にてショパンの楽譜のエディションについて書いていますので、併せてどうぞ!
いずれにしても、いろんな運命のイタズラによってボクたちに届けられた貴重な歴史的遺産なのですから、この名曲を聴ける(弾ける)歓びをもっと感じて、後世に伝えていきたいですね♪
それではまた!(^-^)/~~~
アルトゥール・ルービンシュタイン PART2
こんにちは、グラフィッカー☆JUNです。(^-^)/
さて、アルトゥール・ルービンシュタイン Part1の続きになります。
前回の記事では、彼の生い立ちに始まり、度重なる青年時代の苦悩を乗り越えて、世界的な人気を博すまでを簡単に綴りました。
cosmic-classics.hatenablog.com
その後のルービンシュタインはどういう人生を歩んだのでしょう。
早速、彼の足跡を追ってみましょう。(^-^)
ルービンシュタインに付き纏う光と影
ルービンシュタインは45歳にして、23歳のネラ(アニエラ・ムウィナルスキ)という女性と結婚したのですが、それ以前の彼はそれこそ世界各国に恋人がいるというくらいのプレイボーイでした。
実に8~9か国語を見事に操ったというのですから、それも頷けますね!
ポーランド語、英語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、フランス語…さて、あとはどこでしょうか。まさかアジア圏ってことはないですよね?(笑)ご存知の方がいらっしゃったら是非教えてください!
しかし、そんな彼も結婚となるとさすがに真面目に考えたようで、ワルシャワでベートーベンのピアノ協奏曲第4番を共演した指揮者の娘であるネラと結婚を考えるようになります。
いろいろと紆余曲折を経たようですが、最終的にはきちんと結婚し、その後の演奏旅行には可能な限りネラが同行したそうです。
この頃のルービンシュタインは、演奏家としても人間としてもずいぶんと落ち着いていたので、結婚していなくとも軽々しい火遊びはしなかったとは思いますが、奥さんの監視も多少は抑止力になっていた(?)のかもですね。(笑)
▲最終的には、4人の子宝に恵まれたそうです。45歳で結婚ですから、パパ頑張ったんですね。さすがルービンシュタイン、ボクも見習いたいです。(笑)
その後パリに居を構えるも、まもなくナチスが台頭し、ユダヤ人であることで危険を感じたルービンシュタインは、家族とともにアメリカへ演奏旅行へ出かけました。
そしてアメリカ滞在中、ついに第二次世界大戦が勃発するのです。
大戦後はアメリカ国籍を取得しました。
こう考えると、ルービンシュタインって人は、危機回避能力もズバ抜けているんですね。
偶然とかではなく、時代と先を読み、よき方向へ向かうべく行動を起こす人。
お陰で、ボクたちは彼が残してくれた音源を通じて、素晴らしい理想的なショパンに触れることができるのですから幸せなことですね。
しかし、祖国ポーランドに残された彼の身内は当然ユダヤ人ですから、ことごとくナチスに捕えられて命を落としています。(T^T)
1960年の第6回ショパン国際ピアノコンクールでは審査委員長を務め、あのマウリツィオ・ポリーニ優勝の際のコメントは今でも語り草となっています。
「彼は、審査員席にいる我々の誰よりも上手い!」
▲若い頃のポリーニはかなりのイケメン。いかにもイタリア人っていう感じのシャープな顔立ちです。
そして、晩年のルービンシュタインはというと、85歳という高齢でありながらショパンのピアノ協奏曲の2曲を一晩で弾ききったと言うのですから、もうスゴイという言葉しか出てきません。
ピアニストとしては89歳できちんと現役引退宣言をし、その6年後の1982年にスイスのジュネーブにて就寝中にこの世を去りました。
最期の人生の幕の下ろし方まで美しい人だったのですね。(ToT)
ルービンシュタインに曲を献呈した作曲家たち
ルービンシュタインは95年の人生を全うしたワケですが、考えてみたらほぼ一世紀を生き、80年もの長い間第一線のピアニストとして時代をリードしてきたのですね。
亡くなったのは1982年ですから、その年に生まれた人は現在35才。なんだか意外と最近な感じがします。←この感覚はオヤジですか?(笑)
しかし彼はその人生の中で、多くの歴史上の偉大な芸術家や作曲家、演奏家たちと交流してきました。
なにせ、あの有名な画家パブロ・ピカソは大親友で、ルービンシュタインは多くの作品を所有していたくらいですからね。(゚Д゚ノ)ノ
それらの名前を一部挙げてみると…
ポール・デュカス
ジョゼフ=モーリス・ラヴェル
カロル・シマノフスキ
イーゴリ・ストラヴィンスキー
エイトル・ヴィラ=ロボス
パブロ・カルザス
アレクサンドル・スクリャービン
マヌエル・デ・ファリャ
フランシス・プーランク
フェデリコ・モンポウ
このメンツはもの凄いですね!
しかも、この中の多くの作曲家が、ルービンシュタインのために曲を書き、彼に献呈しているのです。
死してなお記憶に新しい近代のピアニスト ルービンシュタインですが、こういった歴史的な足跡を数多く残しているのですね。(o´∀`pq)
オマケ:ルービンシュタインが残した逸話
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▼エピソード その1
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有名な話なのでご存じの方も多数いらっしゃると思いますが、まずはロシアの天才ピアニスト、ヴラディミール・ホロヴィッツとの関係に纏わるエピソードです。
ルービンシュタインが、ロクに練習せずともほとんどの曲を軽々と弾きこなしてしまう才能に溺れかけていた頃、若きホロヴィッツの演奏を聴き大きな衝撃を受けたといいます。
「私は長い間、無知で傲慢で、自分の天与の音楽的才能を生かさなかったことを恥ずかしく思った。」
そして、それまでの怠惰な気持ちを入れ替え練習に励み、音楽と真摯に向き合うようになったのです。
ちなみに、ホロヴィッツは「世界のピアニストには三種類しかない。ユダヤ人とホモと下手糞だ。」と発言したそうですが、彼もユダヤ人です。但し、そこにホモという言葉も加わりますが。(笑)
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▼エピソード その2
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先ほど書いた1960年第6回ショパン国際ピアノコンクールですが、ポリーニの優勝に続く「第2位以降の順位に相当な不正がある。」とルービンシュタインは言っています。
そして、第11位に終わったピアニストに、自らの名前を取った『アルトゥール・ルービンシュタイン賞』を即席で作り、特別賞として与えたのです。
その時の彼の発言は断固としたものでした。
「審査委員長として、ここにアルトゥール・ルービンシュタイン賞とでも呼ぶべき特別賞を加えます。そして、第2位に相当する賞金とともにミシェル・ブロックに与えます。」
って、審査委員長ってこんな権限があるのでしょうか!?
…いや、ルービンシュタインだからこそできたのでしょうね。
ちなみにミシェル・ブロックについては詳しくは分かりませんが、ルービンシュタインにここまでさせたのですから興味がないといったらウソになります。
今度、時間を作って、動画なり音源を探してみたいと思います。
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▼エピソード その3
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晩年のルービンシュタインがコンサートを開いたときの、こんな面白エピソードもあります。
年老いた彼に何か不調があったら「オレが代演を務めて一躍有名になってやる!」という淡い期待を胸に、ステージの袖で待機している若手ピアニストが数名いたということです。(^^;;
しかし、ルービンシュタインの代演でスターダムにのし上がった新星!…なんて話は聞いたことないので、彼らに一度もその機会を与えなかったということですね。(笑)
少し調べたら、もっと興味深い話がたくさん出てきそうですね。
そのときは、また別の機会にPART3として書かせて頂くことにしますね♪
それではまた!(^-^)/~~~
アルトゥール・ルービンシュタイン PART1
こんばんは、グラフィッカー☆JUNです。(^-^)/
もう何度もこのブログで名前を上げていますが、ボクの一番のお気に入りのクラシックピアニストは、ポーランド出身のアルトゥール・ルービンシュタインです。
彼の弾くショパンはボクにとっては特別なもので、他のピアニストのそれとは明らかに別次元に存在します。ボクの中では、ダントツNo.1の存在です。
▲ポーランドのLodz(←これでウッチと読みます。)のビルに描かれたルービンシュタイン。
2009年と比較的最近設立された、アーバンフォーム財団のプロジェクトの一環のようです。
この他、ウッチにはピアノを弾くルービンシュタインの銅像があることも有名です。
ルービンシュタインのショパン演奏において特筆すべき点は、彼のテンポ・ルバートにあります。
テンポ・ルバートというのは、クラシック音楽特有のもので、いわゆるリズムの揺れのこと。
この世に存在するほとんどの音楽には、絶え間なく一定のリズムを刻み続ける打楽器というパートがあり、それに乗せてメロディーを展開していきますよね。
もちろん音楽の基本はインテンポですが、クラシック音楽の場合、その場その場でリズムが早くなったり遅くなったり、結構、指揮者やピアニストの自由裁量で演奏されることが多いのです。とはいえ、ちゃんと根拠あってのテンポ・ルバートです。
そうすることによって、曲に生命力や躍動感を与えたり、様々な情景描写に一役買っているのですね。
好き嫌いはありますが、ルービンシュタインの説得力のあるリズムの揺らし方は彼ならではのもの。
彼こそがショパン芸術の極みであると、ボクの中では確信しています。
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▲10枚で、3,000円いかないってどゆこと? ボクが若い頃、それこそ1枚3,000円近くしてたのに…
彼はエチュードだけ残してませんが、それ以外のショパン作品はこれで網羅できます。
エチュードは、マウリツィオ・ポリーニか横山幸雄さんを聴いてください。(*’3`b)
ショパン作品の中でも、ポーランドの伝統的民族舞踊である≪マズルカ≫。
ショパンは、50を優に越えるマズルカを作曲していますが、これらの曲が持つ美しくも哀しい旋律を、ここまで見事に歌い上げるピアニストは、彼以外に存在しないと思っています。
勉強や研究で身に付けたものではなく、それこそ天才ルービンシュタインの生まれもった第六感なのでしょう。これは才能以外の何者でもありませんね。
2才でピアノを始め、4才で自分の天才を自覚した!
でたっ、これですよ、これ! (≧∀≦)
もちろん、大人になったルービンシュタインの言葉ですから、恐らく子供の頃の記憶や認識とはきっと乖離していると思いますけど…(^^;;
それにしても、一体どれほどの神童だったんだろう? と思わせる発言ですね。
なんでも、2才で姉のピアノを聴き、その曲を持って生まれた絶対音感を頼りに即座に演奏したという逸話があるほどです。
その後…
●10才でポーランドを後にしてドイツに渡り、フランツ・リストの高弟であるハインリッヒ・バルトに師事します。←もう、ここもヤバイ♪ (≧∀≦*)
●13才でベルリン交響楽団と共演。(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とは別の団体です。)
いやぁ…もうこれだけで天賦の才を疑う余地はありませんね。
▲これは1906年撮影ですから19才の頃です。ルービンシュタインの若き日の写真は少ないのです。
さて、そんな順風満帆に見えた彼のピアニスト人生ですが、自ら命を絶とうとしたくらいの苦悩と、あられもない人種差別を受けています。
その19才の頃に、かの有名なNYのカーネギーホールにてリサイタルを開くのですが、くだらないアホ評論家たちに辛辣な言葉を浴びせられ、自ら4年もの間リサイタルを控えて研鑽を積みました。
1910年、ロシアの高名なピアニストの名を冠に持つアントン・ルービンシュタイン国際ピアノコンクール(英語のスペルが全く同じなので、よく混同されますが、全くの別人です。)にて堂々の第1位を受賞するも、ユダヤ人であることであからさまな差別を受け、賞金は与えられず、副賞の40回にも及ぶ演奏会も無効になったのです。
いくら天才ピアニストとはいえ、当時はまだ23才の青年です。こんな仕打ちを受けどんなに辛い思いをしたことでしょう…(;へ:)差別反対!
持前の明るさと人懐っこさで世界中の人気者に♪
そうした苦しい時期を乗り越えたルービンシュタインは、ヨーロッパやアメリカ各地を演奏して回り、絶大な人気を集めていきます。
サービス精神旺盛で、おどけた表情をみせたり、茶目っ気ある言動で人々を喜ばせたり…そんな愛すべき人間でした。
特に、ステージを絶対にキャンセルしない姿勢も主催者側から全幅の信頼を寄せられた理由です。
※これを聞くと、一流のピアニストとしてもキャンセル魔としても名高かった、アルトゥーロ・ベネッティ・ミケランジェリや、ヴラディミール・ホロヴィッツ、マルタ・アルゲリッチたちに、ルービンシュタインの爪の垢を煎じて飲ませたいくらいです。(笑)
ややもすると、努力せずしてなんでも楽に弾きこなしてしまうという恵まれた才能に溺れることもありましたが、ある時期に思い直すことがあって、それ以降は演奏に対し真摯に取り組むようになりました。
その気持ちは、45歳で結婚した妻とその後に授かった娘を『二流ピアニストの妻子』とは絶対に呼ばせないぞ! という固い決意で音楽と対峙し続けた姿勢からも伺えます。
▲欧米を制したルービンシュタインは、その後スペインや南米でも大人気を博しました。
南米のピアニストといえば、アルゼンチン出身のアルゲリッチ…いやぁ、風格バリバリの今の彼女が信じられないくらいピチピチで可愛らしいですね♪
この続きは、次回以降に書かせて頂きますね。Part2をしばしお待ちください。
それではまた!(^-^)/~~~
ショパン ポロネーズ 全7曲
こんばんは、グラフィッカー☆JUNです。(^-^)/
久しぶりにショパンの楽曲に触れる記事をエントリーさせて頂きます♪
本当はもっと早いペースでこのカテゴリーについて網羅し、みなさんにショパンを知って頂くことと、少しでも多くの方にショパンの曲を聴いてもらい、好きになって頂くということが、このブログの最大の目的なんですけどね。ヾ(・ω・`;)ノ
さて、では早速その≪ポロネーズ≫について、張り切って書いていきます!
その前に予備知識としてお話をしておきたいことがあります。
ポーランドの民族舞踊について
以前ほんの少しだけ、ポロネーズは古くから伝わるポーランドの民族舞踊であることに触れたことがありますが、ここではその民族舞踊について少しだけ詳しく解説したいと思います。
ショパンの生まれ故郷であるポーランドの民族舞踊には、大まかに5つほどの種類があります。
Mazur(マズル・3/4、3/8拍子)
Oberek(オベレク・3/8拍子)
Kujawiak(クヤーヴィアク・3/4拍子)
Krakowiak(クラコヴィアク・2/4拍子)
なんだか、聞いたことないようなものまでありますね。(^^;;
しかし、マズルって… あれれ、マズルカではないの??
≪マズルカ≫という名前は、上記のマズル、オベレク、クヤーヴィアク(その他オブラツァニ、オクロングウィ)の総称です。
地域によりリズムの違いやテンポの速さに特徴があるので、これらの複数の名前で区別し分類されているようです。
そして、最後の≪クラコヴィアク≫に関しては、ショパンの曲にそのままのタイトルで存在していました。
演奏会用大ロンド『クラコヴィアク』(Krakowiak, Grand Rondeau de concert)ヘ長調 作品14
これは、ピアノと管弦楽のための作品のようです。ピアノ独奏曲ばかり作曲しているショパンにしては、こういった室内楽ものは非常に珍しいですね。
Fryderyk Chopin - Krakowiak Op.14
▲こちらがその≪クラコヴアク≫です。良音を優先したので映像はないですが、一発で検索できるなんてYouTube様様ですね。
それでは、ポーランドの民族舞踊がザックリと整理できたところで、今回のテーマであるショパン≪ポロネーズ≫全7曲について解説していきたいと思います。
ポロネーズ:繊細かつダイナミックなショパニズムの集大成
ショパンのピアノ作品というと、みなさんきっと一様に、夢見心地で、美しく、優雅な、パリのサロンを彷彿とさせる貴族たちのための音楽を連想するのではないでしょうか?
しかし、ショパンってそういったイメージを払拭する曲も結構残しているのです。
その例として取り上げて、一番分かりやすいのが、この≪ポロネーズ≫という曲集です。
どの曲をとっても、ショパン独特の繊細さや憂いを含む美しい旋律はもちろん、同時に品格に満ちた男性らしさや骨太さまで感じられるものばかりです。
そして、ショパンはポロネーズを単なる舞曲ではなく、独自の新しい芸術作品として昇華させたのです。(これはマズルカにも言えることですね。)
ポロネーズ 第1番 嬰ハ短調 op.26-1
断固たる威厳を持った猛々しい序奏と、美しいメロディを奏でるノスタルジックな中間部との対比が素晴らしい曲です。
個人的な意見ですが、ボクの好きな調で書かれています。(笑)
主題はその嬰ハ短調ですが、並行調のホ長調~中間部で同主調の変ニ長調へ転調するところが特に好きで、彼の天才的なハーモニー(和声)の扱い方がダイレクトに感じられる部分でもあります。
最後は主題に戻りますが、なんと! 盛り上がりを見せることなく(コーダ無し)普通に終わってしまいます。ショパンにしてはちょっと珍しいですね。(^^;
ポロネーズ 第2番 変ホ短調 op.26-2
悲壮感漂うポロネーズとでも言いましょうか。
序盤でのリタルダンド(次第に遅く)とアッチェレランド(次第に速く)が交互に指示されているところに、その不安定な心情を綴る効果が表れています。
なにより、先のop.26-1の威風堂々とした曲調に対し、真逆に位置付けられそうな作品を同じ番号でまとめたことにショパンの意図を感じます。
そして、こちらも同じく弱音(ppp ピアニッシッシモ)で消えるように終わります。
ポロネーズ 第3番 イ長調 op.40-1≪軍隊≫
必要な技術以上の演奏効果がある、副題付きのポロネーズではありますが、いずれにせよ他人がつけたものですから、ショパンがそのテーマで書いたものではありません。
ショパン独特の抒情的で繊細な旋律は最後まで特に現れず、勢いだけで乗り切ったような作品です。そしてショパンにしては非常に単調で、起伏に乏しい構成だと思います。
並居る演奏家たちは、こういった作品とも真正面から向き合わないといけないのですね。本当にとても大変な職業だと思います。
ポロネーズ 第4番 ハ短調 op.40-2
先の軍隊ポロネーズと同じ作品番号でまとめられた曲です。
むしろこちらの方が音楽的に充実しているし、構成も非常に緻密で多彩な変化に富んでいます。
しかし、華々しい雰囲気の第1曲に対してあまりにも悲壮感溢れる曲調なので、結果注目されないという不遇な曲となっています。
→op.40-1:偉大なポーランドを讃えた曲 (´ω` )/
→op.40-2:没落したポーランドを嘆く曲 (ノ◇≦)
ポロネーズ 第5番 嬰ヘ短調 op.44
副題は付かなかったものの、ショパン自身が「ポロネーズ形式の幻想曲」と、友人であるフォンタナ宛の手紙に記しています。
また、フランツ・リストも賛辞を惜しまなかったくらい傑出した作品で、その地位は第6番≪英雄≫や、第7番≪幻想≫と肩を並べるほどだと言われています。
中間部のマズルカ形式で書かれた美しい旋律、簡潔ではありますが悲劇的なコーダ部分、この「よしキタッ♪ヾ(。>v<。)ノ゙」と思わせる立体的な構成は、やはり天才ショパンならではです。
ポロネーズ 第6番 変イ長調 op.53≪英雄≫
ショパンの代表的なポロネーズ全7曲の中で、最高傑作にして最高レベルの演奏テクニックを要する≪英雄ポロネーズ≫は、ボクにとってショパン全166曲のピアノ独奏曲中、5本指に入る大好きな作品です。
これから起こる物語を予見させるような序奏と、全身に稲妻が走るような劇的なコーダは、全ポロネーズを代表するに相応しい、大規模で華やかな構成となっています。
この堂々たる風格、壮大な構想、漲る生命力と躍動感は、聴く者を奮い立たせてくれます。
ポロネーズ 第7番 変イ長調 op.61≪幻想≫
ショパンがその生涯の中で一番最後に書いたポロネーズが、この≪幻想ポロネーズ≫で、奇しくもジョルジュ・サンドとの破局と時を同じくして世に放たれた曲です。
そしてポロネーズに限らず、それ以降のショパンはこれほど規模の大きい曲は1曲たりとも書き残していません。
第6番≪英雄≫との決定的な違いは、厳格な形式を持たない故、テクニックだけではきちんと弾きこなせないところにあります。
つまり、弾き手のクリエイティヴィティと曲の構築力が試されるというわけです。
ですから、クラシックに全く免疫のない人にいきなり聴かせても、哀しいかな『ワケのわからない曲』という一言で終わってしまうでしょう。(笑)
最後に…
現代において一般的に広く聴かれているショパンのポロネーズは、生前にまとめられ出版された以上7曲+2曲(アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ、序奏と華麗なるポロネーズ)ということになっています。
が、実は他に…
9曲ものポロネーズが存在するのです。(・ω・`)な、なんですと!?(笑)
しかし、それらは『習作』として位置付けられているため作品番号が存在しません。
ショパン/ポロネーズ第11番ト短調KK.IIa/1/演奏:中川 京子
▲これはショパンがわずか8才にして作曲したポロネーズです。ちなみにショパンはまだ譜が書けなかったということで、当時の先生が書き取ったという説があります。
ショパンの作曲家としての人生はポロネーズで幕を開け、生涯で最後となった大作も≪幻想≫というポロネーズ! 果たしてこれは単なる偶然なのでしょうか?
何世紀にも渡ってボクら人類を魅了し続けるショパンのポロネーズには、何か特別な力が宿っているのではないかと感じざるを得ません。
あなたも今一度、ショパンのポロネーズ集をガッツリと聴き込んでみませんか?
ショパン映画に一番ゆかりのあるピアニスト
こんにちは、グラフィッカー☆JUNです。(^-^)/
あなたはクラシック音楽を題材にした映画を観たことはありますか?
※のだめを除く(爆)
ふと思ったのですが、ボクは意外と観ていないんですよ。これまでに観たその作品数は僅かに6つ…(^^;;
アマデウス(AMADEUS/1984年・アメリカ)
戦場のピアニスト(THE PIANIST/2002年・仏独波英)
ショパン 愛と哀しみの旋律(Chopin: Desire for Love/2002年・ポーランド)
敬愛なるベートーヴェン(Copying Beethoven/2006年・イギリス)
オーケストラ!(LE CONCERT/2009年・フランス)
しかも、ほとんどがここ10~20年に制作された映画ですね。
みなさん、なにかクラシック映画でオススメがあったら、是非是非教えてくださいませ!!←新しい刺激に常に飢えておりますゆえ…(笑)
さて、最初に挙げた≪別れの曲≫が唯一のモノクロ映画ですが、これがボクにとって今のところ一番心を打つクラシック映画です。
時代が時代ですから、エフェクト技術など手の込んだ演出は一切ありません。
それでも、作り手の気持ちがヒシヒシと伝わってきますし、特に劇中のショパンとリストの俳優さんが、自分の考えるイメージとぴったりシンクロしていたのが大きかったです。
そして何より、ショパンとリストの最初の出逢いのシーンがとても素晴らしいのです。
ショパンの力作≪英雄ポロネーズ≫をお互い片手パートを演奏しながら握手を交わすという、洒落た演出に思わずニヤリとしてしまいます。
その光景を離れた位置で幸せそうな表情で見守る、エルスナー先生のチャーミングな姿。(笑)
ただ、残念な点としては、ジョルジュ・サンドがちょっと(かなり)美しすぎたかなぁ?
あと、演出上カルク・ブレンナーが嫌な役回りにされていますが、これは史実と違います。実際の彼は、ショパンのパリデビューに尽力した一人ですから。
ヤヌシュ・オレイニチャク:ポーランドの大御所
さて…話は変わりますが、このピアニストの名前、ご存知の方いらっしゃいますか?
彼は、第8回 ショパン国際ピアノコンクールの第6位入賞者として地元ポーランドを沸せたピアニスト。
ちょうど、≪世界のUCHIDA≫こと内田光子さんが第2位入賞を果たした回ですね。←ちなみにこれは日本人としては現在最高位です。
そしてこの他、彼が名を上げた大きな理由は、アカデミー賞を受賞した作品、あの≪戦場のピアニスト≫において、すべてのピアノ演奏の吹き替えを行ったことです。
主人公であるシュピルマンが、ポーランドの敵となるドイツ軍の将校であるヴィルム・ホーゼンフェルトの目の前で弾いた、ショパンの≪バラード第1番≫は実に見事なもので、情景描写の演出も相まって観衆の心に一番焼き付いたシーンだと思います。
ちなみに、これに水を差すようですが、実際にシュピルマンが弾いた曲は、ノクターン第20番(遺作)嬰ハ短調だという話です。
※この映画は、脚色しているとはいえ、ノンフィクションでありシュピルマンの体験記です。
それにしても、シュピルマン役を演じたエイドリアン・ブロディの演奏シーンの演技は、とても素晴らしかったですね!
ピアノを弾いている指のアップは、もちろんオレイニチャクによるものですが、冒頭の部分はちゃんと練習をしたそうですよ。
全くもってエイドリアンの演奏に見えるのですから不思議なものです。
ボクはその昔、NHKで放送されたあるショパンの特番を録画して(当時はもちろんVHSテープです。)オレイニチャクの弾くショパンを聴いていたのですが、なんだかアクの強い演奏であまり好きにはなれませんでしたが、まだ若くてよく理解できてなかっただけなのかもしれません。
また、彼は当時から地元ポーランドでは結構なピアニストとして活動してたみたいですが、日本では全く有名ではなかったし、恐らくレコードやCDも売られてなかった(?)ので、その後この映画で再び耳にするまではその名前を忘れてたくらいです。(^^;;
オレイニチャクの映画での演奏吹き替えは他にもあり、偶然ボクが観た≪ショパン 愛と哀しみの旋律≫でも彼の演奏が聴けます。
内容的には、ショパンとジョルジュ・サンド一家(息子のモーリス、娘のソランジュ)によるマジョルカ島への逃避行の時代にスポットを当てたもので、決して華々しいパリのサロン社会での生活を描いたものではなく、ドロドロとした人間臭ささえ漂う鬱々とした作品に仕上がってますね。
この映画には、日本が世界に誇るピアニスト横山幸雄さんも、≪革命のエチュード≫等の難曲の演奏吹き替えをされています。
ボク的にはオレイニチャクより、正直こちらの方が最重要事項です。(笑)
cosmic-classics.hatenablog.com
▲横山幸雄さんの記事も過去にエントリーしていますので、よかったらどうぞ♪
俳優(?)オレイニチャク
実は、これについて一番書きたかったのです。(笑)
どうやら「オレイニチャクはショパンにそっくりだ!」 という理由で、自身が演奏しているのはもちろん、ショパン役まで務めている映画が存在しているのです。
制作側としては、吹き替えがいらないし、ショパン役がそのまま演奏しているのであれば臨場感もリアリティも演出ナシでいけちゃうのですから、願ったり叶ったりなんでしょうね。
その映画は、ソフィー・マルソーという往年の美人女優さんが主演(ジョルジュ・サンドの娘のソランジュ役)の一人として制作された≪愛人日記≫(La Note bleue/1991年・フランス)という作品です。
ボクはまだこれに関しては観ていませんので、簡単な内容すらご紹介することもできませんが、いい機会なので今度DVDでも買ってみようと思います。
で、↓これがヤヌシュ・オレイニチャクの若かりし頃の写真です。
ショパンの実際の写真は、ネット等でもよく見かける一枚しか知らないので何ともいえませんが…そのショパン似というのはどうなんでしょうね?
確かに、この若い頃のオレイニチャクは端正な顔立ちだし、ちょっと痩せて頬がこけた感じはショパンのイメージに合ってるような気はします。
でも、自称なのか他人評なのか…そこは、あんまり深くツッコミ入れるのはやめておきます。(^^;;
彼はその後も、NHKとポーランド国営放送局の共同制作番組でもショパン役を演じているようです。
ボクが昔見たNHKの映像では、もうちょっとクシャっとした感じのオジサマでしたので、それと同じ番組ではないとは思いますけど…
彼の実績としては、特にヒットを出したCDなどは≪戦場のピアニスト≫のサウンドトラック以外に聞いたこともありませんし、個人的に、大昔にNHKの番組で彼の名を目にしてなかったら、今でも殆ど知らないピアニストのひとりでしたね。
彼は、随分昔のショパコンの入賞者である上、優秀ではあるにせよ世界の第一線に身を置くピアニストではないことは明らかで、世界で研鑽を積み続けている同じ時代の名ピアニストたちからは、大きく水を開けられていると思うのです。
それなのに、何故オレイニチャクはショパンの映画やドキュメンタリー番組で度々キャスティングされているのでしょう?
ボクはその答えとしては、オレイニチャクのそのアクの強いポーランド節の利いた(いい意味で情熱的な)演奏は、過剰演出も通用する映画だからこそ効果を発揮できるのではないか?と推察しています。
もし、彼が来日してコンサートをやると知っても、食指が動く要素は見当たりませんので、ボクは恐らくスルーすることでしょう。
しかし、世の中には常にPRO(肯定派)とANTI(否定派)が存在しますので、ボクのこの見解は当然のことながら正解ではありません。
なので、個人的感想に関しては、サラッと聞き流してくださいませ。(-_-;)ゝ
以上、思いついたようにツラツラと書き綴ってみましたが、冒頭で紹介した≪別れの曲≫をもう一度観返して涙したいと思いますのでこれにて失礼します。(笑)
▲ショパンの映画としては最高傑作だと思います。歴史的作品なので全編モノクロですが、この甘く切なく激しいショパンの感情と恋を描いた物語を、若い人たちにも感じて欲しいです。
それではまた!(^-^)/~~~
ショパン バラード 全4曲
おはようございます、グラフィッカー☆JUNです。(^-^)/
早いもので、息子が産まれて今日で丸4週間が経過しました。
初めての子育てですので、夫婦二人して悪戦苦闘しながら怒涛の毎日を送っています。
やはり大変なことが多いですが、それでも息子の天使のような寝顔や、反射と分かっていても笑顔を見せられるとそりゃ~頑張れます。
自分たちでも「これが親バカパワーなのか!」って驚くくらい底力が湧いてくるのです。
そして、この時期から『刷り込み』を意識して、息子のお布団の近くにCDプレーヤーを置いて、昼間はクラシック音楽をずっと流しっぱなしにしています。
妻が大好きな、ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第2番(by辻井伸行)、ボクが大好きなショパン ノクターン全集&バラード全集(byアルトゥール・ルービンシュタイン)がメインです。
赤ちゃんの頃の辻井伸行さんが、スタニスラフ・ブーニンの弾く英雄ポロネーズを聴いて手足をバタバタさせたように、息子も…と観察してはいるのですが、普通に暴れ出すことはあっても要求はおむつ替えやミルクだけで、いまのところ音楽には全く反応していない模様です。(笑)
妻は「もうちょっと大きくなったらKAWAIのおもちゃピアノを買う!」と張り切ってますけどね。(爆)
『刷り込み』の意味を調べてみました。
刷り込み(すりこみ、imprinting)とは、動物の生活史のある時期に、特定の物事がごく短時間で覚え込まれ、それが長時間持続する学習現象の一種。
刻印づけ、あるいは英語読みそのままインプリンティングとも呼ばれる。
引用元:刷り込み - Wikipedia
この『生活史のある時期』というは、幼少期くらいまでのことでしょうか?
それとも、ある程度大きくなっても同じことを繰り返すことで記憶される現象も、刷り込みと言うのでしょうか?
例えば、あなたが学生時代(中学や高校など人格形成時期を過ぎた時代)に、ある演奏家のCDを聴きこんで、今でも記憶している曲があるとします。
その後大人になって、同じ曲を耳にしたけれど、別の演奏家のCDだったのでなんかしっくりこず違和感を覚えた。そんな経験はありませんか?
ボクこの経験、結構あるんです。
例えば、ショパンのバラード第1番がそうですね。
近年、フィギュアスケートの羽生結弦くんが圧巻の演技で世界一になったときに使用された、押しも押されぬショパンの名曲です。
それから、≪四月は君の嘘≫という漫画でも、感動的な最終話を飾る挿入曲として使われています。
ボクがこの曲を初めて聴いたのは中学生の頃で、ウラディーミル・アシュケナージというロシア人ピアニストのバラード&スケルツォ集のレコードでした。
ちなみに彼は、現在もピアニスト兼コンダクター(指揮者)として世界の第一線で活躍しています。
- アーティスト: アシュケナージ(ヴラディーミル),ショパン
- 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
- 発売日: 2009/05/20
- メディア: CD
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▲いまやレコードは売られておりませんので(笑)CDをご紹介しておきます。
彼のバラードはどこまでも透明感があり、癖のない清潔な演奏が特徴です。都会で汚れきった心を綺麗に浄化してくれます。
とにかく、このレコードは初めて針を落とした瞬間からボクの愛聴盤となり、聴かない日がないくらい毎日レコードプレーヤー内でクルクルと回り続け、最後には溝が擦り減ってまともに聴くことが出来なくなったくらいです。(笑)
大学生になって、クラシック熱が上がっていろいろ聴きまくるようになったのですが、ほとんどの曲はどんなピアニストでも、気分によって聴き分けることができたのに、どうしてもバラードとスケルツォに関しては、なかなかアシュケナージ以外の演奏に馴染むことができませんでした。
ツィメルマンやポリーニ、ルービンシュタインですら何か違和感を覚えたくらいです。
その後、しばらくはアシュケナージに甘えつつ徐々に他のピアニストを耳に馴染ませていき、今ではその刷り込み効果も薄れて無事に(?)脱アシュケナージができました。
今では、ルービンシュタインのバラードが一番好きになってます。
結局、抜け出すまで5年くらいかかってますから、恐るべし刷り込み効果!です。
さて折角なので、ここで…
ショパンのバラード(全4曲)について簡単にご紹介
ただし、演奏するにあたっての技術的なことには一切触れません。
なぜなら、ボクはバラードを一曲たりとも弾ききれる技術を持ち合わせていないからです。
ここでは、あくまでも曲を聴いた感想にとどめたいと思います。
まず、バラードというのを簡単に説明すると、譚詩(たんし)とも呼ばれ、物語的な音楽を指します。
ショパンは友人である詩人ミツキェヴィッチの詩をヒントに、壮大かつドラマティックな構想で書かれたバラードを4曲も残してくれました。
バラード第1番 ト短調 op.23
バラード全4曲の中で、一番有名な曲ではないでしょうか。
羽生結弦くんの演技で使用されたあの壮大で華麗な曲を、あなたも一度は耳にしたことがあるかと思います。
まさしく、氷上の王子≪世界の羽生結弦≫に相応しい曲といえるでしょう。
序盤、ゆったりとしたアルペジオが鳴り響いた後、憂いと静けさの中にも氷の結晶がキラキラと舞い続けているような美しい旋律が印象的です。
その後、奥ゆかしく控えめな進行が続くかと思いきや、いきなり感情が高ぶったり、またも物憂いに沈んだり、感情の赴くまま物語が展開していきます。
そして、最後の劇的に昂揚した激しいコーダ部に突入すると、一気に涙が溢れ出しそうになります。
この曲を聴き終えたとき、あなたはきっと魂と骨を抜かれた種馬(笑)のようになっていることでしょう。
バラード第2番 ヘ長調 op.38
ロベルト・シューマンは、先の第1番について「君の曲のなかで最も美しい!」とショパン宛ての手紙の中でラブコールしたくらいお気に入りだったようで、この第2番を献呈されて大変不服だったそうです。
シューマン…大人のくせに、ワガママ極まりないですね。(笑)
確かにこの曲は、構成的にもバラード4曲中一番シンプルで演奏時間も短いです。
しかし、鬱々とした夢想的な旋律と、激しく荒れ狂う感情的な心が交互に入り乱れ、『待ってました!』的に配置された最後の大爆発~収束という王道の構成は、ボクのようなベタなショパンマニアにはたまらない曲調ではありますけどね。
バラード第3番 変イ長調 op.47
冒頭の恋人同士の囁きは有名な下りです。
甘く幸せな二人の会話が対位法で書かれていて、あたかも間近で聞いている感じがして少々恥ずかしくなりますね。(/ω\)
激しく燃え盛るような感情の高ぶりはその後も姿を見せませんが、円熟期に入ったショパンの創作意欲が作曲技法のあちこちに見え隠れする素晴らしい曲です。
意外とこの気品あふれる曲を上手に弾きこなすピアニストは、なかなか存在しないんですよ。
バラード第4番 ヘ短調 op.52
これぞ、バラードの真骨頂です!
ピアニストにとっては、技術的にも構造的にも、非常に高度なテクニックと表現力が要求される難曲中の難曲です。
バラード中と限定せずとも、ショパンのすべてのピアノ曲中、最も傑出した曲といってもいいほど。
全編に渡って悲劇的な感情が支配しているのですが、師であるジヴヌィとワルシャワ時代の親友マトゥシンスキの死が、多少なりとも影響を及ぼしているかもしれません。
最後のコーダでは、全てを一気に終わらせるかのように急速下降したアルペジオとその後に続く力強い4つ和音が、半ば狂気的に曲を締めくくります。
- アーティスト: ルービンシュタイン(アルトゥール),ショパン
- 出版社/メーカー: BMG JAPAN
- 発売日: 2007/11/07
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▲この3人のピアニストが紡ぎだすバラード(物語)は特に傑出しています。お子様へのクラシック音楽の刷り込みにはこれらのCDを是非♪
あなたの大切な人へ、大切な家族へ、美しいショパンのバラードをドンドン刷り込んでくださいね。
人類73億人ショパニスト計画!(^ー゚)ノ
それではまた!(^-^)/~~~